聴覚障害大学生のブログ

ブログのテーマは「聴覚障害」ですので、基本的に聴覚障害に関することばかりを書きます。読者登録・コメントも気軽にどうぞ(*´˘`*)♡

人間関係の作り方

 

   私は典型的な内向型であることと難聴のダブルパンチで人間関係を作るのに苦労する。

 

   大学生になるまでに学べなかった基本的なことがだんだん分かってきたのでまとめておこうと思う。(色んなところで見聞きしたものも含むかも)

 

①親密度=接触度

     単に毎日会っていれば否応なしに慣れる。

波長は合うがなかなか会わない人と比べて、そんなに相性は良くないがコミュニケーション量が多い人の方が仲良くなる。

 

②自分を尊重してくれると感じる人を大切にしよう

    自己肯定感の低い人あるあるかもしれない。自分を大切にしてくれる人を信用できず、自分をないがしろにする人に走ってしまうことが何故かある。如何に不信感に負けないか。見分け方はある程度付き合っていたら分かってくる。慣れてきた頃に本性が出てくるはず・・

 

③沈黙に気を遣わなくてもいい人は長く付き合える

    話をするのが楽しい人よりも沈黙が気まずくならない人の方が結果的に長く続いている。これはどういうことか、割と知り合ってすぐにでもピンと来ることがある。自分の中の直感を信じよう。

 

④少しでも「ん?」と思うことがあるならば速やかに離れる

    慣れてきた頃にその人の言動に違和感を感じることがある。自分だけではなく、他の人に対する扱いにも。自分の気持ちを見つめ直して、「私は傷付いている」と感じることが多いならば、その人からさりげなく離れよう。

 

⑤あまり、普段の自分とはかけ離れたキャラで振る舞わないこと

    新しい環境に入ったときなどは早く友達を作らないと不安で、無理をして明るく振る舞おうとしてしまう。そうすると、その明るさに惹かれて集まってくる人ばかりになる。不安だろうが、無理しないで自然体で作った友達が一番。

 

⑥人と話したくないときは回復するまで休む

    気分が落ち込んでいるときなどは無理をせずに気ままに過ごすこと。周りは色々言ってくるかもしれないが、そんな状態で無理をしてもこじれてしまう。

 

⑦筆談を嫌がらない人は希少。是非とも大切にしよう

   驚いたことであるが、普通の人は筆談をめんどうに思うものらしい。筆談を巡ってお互いにイライラすることも。そんな中で自発的に筆談をしてくれる人は神。珍しい人なので大切にしよう。

 

⑧世間の友達の数に惑わされない

    小学校の頃からずーっと「友達が多いほどいい。友達のいない人はおかしい人だ」という教育を受けてきたので、人数が多いほどいい!と考えてしまう。本来、どのぐらい人と付き合うかは人それぞれなので、自分が十分に満足していたらそれで🆗。

 

⑨本音を打ち明けることも大切

    人間関係の基本は秘密の開示。そんなに大袈裟なものでなくても、「私はこれが好きなんだ〜」「実はこういう失敗をしちゃった…」という程度のもので🆗。あんまり重い過去とかを話しちゃうと引かれるので、よっぽど仲の良い人以外はやめとこう。

 

⑩人間関係は縁があれば自然とできる

    波長の合う人はお互いに惹かれ合うものなので、どちらかが一方的に頑張らなくても自然と仲良くなれるもの。(もちろん、自分から連絡する、誘うという行動も必要であるが、ものすごく必死にならなくても大丈夫なのが本当に気の合う人。)

    ただ、気の合う人を見つけるには多くの人と出会い続ける必要があるから、外には出よう。(完全に家に篭っていたらそもそも会えないので)

 

   このぐらいかな…。他にも気付いたことがあったらいつか書きたいと思う。メモみたいなものなので、気が向いたときに。

 

 

 

 

コミュニケーション方法は大切

 

  聴覚障害者のコミュニケーション方法は、人によって手話、口話、筆談など様々だと思います。複数の方法を組み合わせることもありますが、一番得意なコミュニケーション方法というものがあると思います。

 

   コミュニケーション方法が違う場合、お互いに歩み寄ることが必要ですよね。

 

   ですが、「歩み寄れる限度」というものがあると思うのです。

 

    例えば、健常者が手話中心のろう者とコミュニケーションを取ろうとすると、手話を覚えなくてはいけません。それはとても労力がかかります。結果、ろう者とのコミュニケーションを諦めてしまうことがあるかもしれません。

 

   逆にろう者が健常者に合わせようとすると、口話を身に付けないといけません。しかし、厳しい訓練を経ても完全には喋れるようにはなりません。結果、健常者とのコミュニケーションを諦めてしまうかもしれません。

 

   こういう風にコミュニケーション方法が違い過ぎると関係を築くのに困難を感じます。。

 

  では、筆談はどうか?と言われると、筆談はいつでも出来るわけではありませんし、手間がかかります。歩きながら筆談する、というのはとても難しいと思います。

 

   もちろん、お互いに簡潔ながらも楽しくコミュニケーションを取ることは出来ると思います。(ジェスチャーを取り入れたり、声かけを積極的にやるなど)

 

   私が悩んでいるのは、「深いコミュニケーションを取ることが難しいこと」です。

 

   もっと、深い話をしてみたいのです。

けれど、口話が不十分なので、日常生活ではとても難しく感じられます。

 

   もちろん、挨拶などの簡単なコミュニケーションでも嬉しい気分にさせられます(⁎˃ᴗ˂⁎)

 

   だけど、もっと相手の話を聞きたいし、自分の話をしたいのです。。

 

    もっと、お互いに話しかけやすくなればいいのに…と願います。

 

    本当は人のぬくもりが感じられないと寂しいです…(´._.`)

 

 

子どもを支援者にしないで

 

   前の記事でインテグレーションについて書いたと思います。

 

   そこで、小学校時代のことで思い出したことがあります。

 

 (みなさんが)小学生のとき、クラスに一人か二人は「面倒見のいい女子」がいたのではありませんか?

 

   私にもそういう存在がいて、いつも一緒にいてサポートをしてくれる女子がいました。

(今思ったらかなり助けてもらってたなぁ…)

 

   しかし、いつの間にか私とセットに見られるようになって、大人たちが私の「お世話」をその女子に頼る場面も見られました。

(曖昧な記憶しかないのですが、子供心にもん?と思うときがありました。)

 

   その女子が負担に感じる表情をしたときはすごく申し訳なかったです。

(それでもずっと助けてくれていたのですから、感謝です。。)

   

   何が言いたいのかというと、障害児がインテグレーションした場合、その支援を同級生に背負わせるべきではないということです。

 

   たとえ、サポートをしてくれるしっかりした同級生がいたとしても、「障害児の支援」という専門的なことは大人がしっかり考えるべきことだと思うのです。

 

  ずっと同級生に頼ってばかりいると、その同級生が負担に感じ、離れていくかもしれません。

 

   それは障害児のためにはならないと思うのです。(一切助けてもらうな!ということではなく、もちろん、サポートしてもらったらお礼を言う、お返しをすることを教えて欲しいと思います)

 

   当時はあまり意識していなかったけれど、たくさん助けてもらって、小学生の頃はなんだかんだ楽しかったように思います(もちろん、大変なこともありましたが…)。

 

   インテグレーションをするのなら、本当にその障害児に合っているのか?をしっかり考えるべきだと思います。(健常者の環境に馴染めず、大きな心の傷を負ってしまう可能性もあるのではないでしょうか。

 

   私の場合はとても苦しいこともあったけれど、結果的に良かったと思います。後悔はしたくありません。

 

読唇できたらいいのに〜

 

   時々、聞こえる人も読唇術が出来たら楽なんじゃ?と思うことがあります。

 

   私の場合、声が不明瞭でも口元を読み取って理解できることが多いので、そう思うのでしょう。

 

   もし、聞こえる人も読唇術が出来たなら、

 

①騒がしいところでも(声を出さすとも)口をはっきり動かすことでコミュニケーションが取れる。

 

②発声が不明瞭な聴覚障害者でも口をはっきり動かすことでコミュニケーションが取れる(かもしれない…?)

 

と思うのです。

 

   普段、読唇術が当たり前になっているので、聞こえる人相手にも口をはっきり動かして喋ったけど、読み取ってもらえなかった…というときは「はっ( ⊙_⊙)」となります。

 

(マスクをしているときはずらして喋ってしまったり・・・)

 

   普段、自分がして欲しい対応を相手にもしてしまうんですよねぇ・・・。

 

   筆談はやはり手間が掛かるので、騒がしいところ・動きながらでもコミュニケーションが取れる方法を探しているところです。

 

共生したいのなら、早めに

 

  最近、インテグレーションについて考えることがあります。

 

   障害者と健常者を本当に共生させたいのなら、幼稚園〜小学生低学年から接するべきだと思うのです。

 

   私の経験からすると、小さい子どもの方が大人よりもよっぽど自然に受け入れてくれます。

 

  実際、自分の小学校の頃は障害のことなど何も考えずに駆け回って遊んでいれば良かったのですもの。。

   同級生たちも雨が降ったら「補聴器!大丈夫?早く屋根に入らないと」など気を遣ってくれたり、話すときは口元をはっきり開けて向き合って分かりやすく喋ってくれました。

 

   これらのことは特に説明した記憶がないです。おそらく、私と過ごす内に自然と身に付いたのでしょう。

 

   幼かったこともあり、特に何の不自由も感じていませんでした。

 

  ところが、大学に入ってみると、不審そうな目で見てくる人がいたり、遠慮してぎこちなくなってしまったり…

 

    大学生はもう大人に近いのだから、説明したら分かってくれる人が多いのも事実だと思います。

 

   だけど…小学校の頃の方が遥かに理解があり、過ごしやすかったように思うのです。

 

   健常者とばかり過ごして大人になってからだと、異質なものを排除する(排除とまで行かなくても避ける・話しかけない)雰囲気が出来上がっているような気がします。

 

    中学・高校から勉強・コミュニケーションの面で厳しくなってきて結局ろう学校に戻る人も少なくないようですから、インテグレーションは問題も多いと思います。

 

   けれど、本当に障害者と共生する社会を目指すのなら、まだ頭の柔らかい子どもの内から接する必要があるのでは…と感じるのです。

   

   

「笑顔」と「聞き取り」の両立ができない

 

  話しているときも微かに微笑みながら喋る人いますよね・・・

  あれ、優しい感じがするし、落ち着いていて印象がいいので、あんな風になりたい!と思う訳ですが……

 

   無理・・・聞き取ることに必死で余裕のない表情になってしまいます。

   笑顔を維持しようとすると、聞き取りが疎かになり、結局聞き返すことになります(╥_╥`)

 

   ニコニコしながら喋れる人すごいです。。

 

   会話をするときは相手の口元に集中!ですから、他に気を配る余裕がないのですよ…

 

   いつも、一生懸命に相手の意を汲もうと頑張っている状態なので、本心からリラックスした会話というものをしたことがありません。

 

  純粋にリラックスできる会話とはどんなものなのでしょう…

 

   何も気にせず会話を楽しんでみたいです。

 

臨機応変に

 

  ボーッとしてたら思い出したこと

 

「呼んでも反応がなかった、無視したんだ!」「何で無視するの?」

→耳が聞こえないことは伝えてあるのに…。「もしかして、聞こえていない?」と考えることはできないのか・・・肩を叩くとか別の方法があるはず…

  といっても、これ、自分がやられたらかなり不安になるんですよね(呼んでも相手に気付かれないとか、似たようなことは自分も経験しています)。

   小さいことだと思っていても気付かない内に相手をすごくイライラさせてるのかも。

   相手が反応しない場合は、すぐに「無視した!」とは決め付けず、冷静になって別の方法を試してみるとか、出来るようになるといいですね・・(お互いに)

 

   何やらこちらの方をチラチラ窺ってくる、または、何やらぼそぼそ語りかけてくる

→声を掛けたいけど、耳が聞こえないので、通じるのか、不安に思っているのかも。。

  何か伝えたいことがあるときは、メモに書いて渡すとか方法があると思うんだけどな…

  やっぱり、音声会話しか思い付かないのかな??

  色んな手段を臨機応変にやってくれたらこちらとしてもすごく楽になるんだけどな・・・

   自分も「この人、自分に話しかけてないか?」など注意することにしよう。。

   知らない内に無視しちゃってるかも・・

 

 

   う〜む・・・健常者の考えていることが時々分からなくなることがあります(向こうもそう思ってると思う……)。

 

   もっと、周りの様子を客観的に把握できるようになりたいです。

   聞こえないせいか、一つのことに集中すると周りが見えにくくなりがちなので。