聴覚障害大学生のブログ

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口話訓練について(母とのこと)

 

 以前、ブログに私は「発話ができない」と書いたように思うが、正確には「喋りたいという気持ちが湧かないので口話はお休み中」である。

 何故、そういうことになっているかというと、もともとあまり人に興味がないということに加え、母の厳しい訓練に嫌気が差したということもある。

 

 小さいころ、母とひたすら発音の練習をした記憶がある。

   母は指導するための本を見ながら、方法を工夫し発音を身に付けさせてくれた。

例えば、

   「か行はうがいをするようにのどを鳴らす感じで発声する」

    「は行は空気を吐き出す感じ」

という風に実際にうがいをしながら練習したり、ティッシュを口の前に下げて息を出していることを確認しながら練習することもあった。

 指導する母も大変だったと思う。だけど、私にとって発音の練習の時間はただただめんどくさくて煩わしい時間であった。

 

 外でも母と同伴で他の大人(病院の先生とか親戚の人とか)と会話をした帰りは、「上手に言えたね」「今の発音はダメ!もっとはっきりして!」「何を言っているのか分からなかったわよ!!」と評価されることが常だった。発音を厳しくチェックしてくれることはありがたいが、「評価」されることが怖くてどもってしまい、上手く喋れなくなってしまうこともよくあった。

 

 この小さいころの厳しい訓練のおかげで、

 母曰く「喋っていることはわかるからね!聞き取ることを頑張るのよ」

と言われるまでにある程度の口話はできるようになった。

 

 そういえば、母は発音だけではなく聞き取ることにも厳しかったよな~と思い出す。

人の話を聞き取れないことで怒られることも多かった。

   本当に相手が何を言っているのか分からなくても、「頑張って口を読み取らなくては」

「聞き取れなかった自分が悪いのだから、なんとしても聞き取らないと・・」と強く思い込んでしまい、会話自体が恐怖だったように思う。

 

 大学に入って初めて聴覚障害について調べ、自分は「感音性難聴」という障害であり、聴神経に障害があるから音を言葉として聞き取ることが難しいんだと知った。

少し気持ちが楽になった。それと同時に、

「聴神経に障害があるのに聞き取れ!というのは無茶だったのでは・・・」

と母を恨めしく思う気持ちが湧いてきた。

 

 今となっては、私の将来を心配してあれほど厳しく訓練をしてくれたのだと分かっている。苦労もすごく多かっただろうに、何不自由なく育ててくれたことにはとても感謝している。

 だけど、厳しい訓練を思うとどうしても「嫌い!!」という気持ちに駆られる。

 

 それでも、厳しい訓練がなかったらここまで喋れるようにならなかったと思うのも事実。母への恩返しとして「老後は苦労を掛けない。自力で生きていけるようになること」しか今のところは思いつかない。

 

 複雑な気持ちだが、大好きな母である。上手に距離を取りながら付き合って行きたい。